top of page

「……牧人さん」
「あ、ちょ、待って」
 

できるだけ音を立てないように裸になって、お風呂場の扉を開く。
牧人さんにしては気弱というか受け身な声が返ってきた。
けれど私は待たなかった。そのまま狭い浴室に足を踏み入れてしまう。そして牧人さんの体を眺めて、どうやら股間を洗っていた最中なのだと察した。
足の間が泡まみれだった。

 

(牧人さん、全身洗った後におちんちんもう一回洗うから……)

 

尿好きなわりにきれい好きなところがある。

 

「……残念?」

 

私の未練がましい視線を逃さずすくい取るのが牧人さんだ。

 

「もう洗っちゃった」
「……うん、ちょっと残念」

 

安心した。牧人さんはいつも通りでいてくれる。
と思い込むのは傲慢で、いつも通りの顔をしているだけだろう。
こうして私が裸で浴室に入ってきた気持ちも、どうしたいかも、どうされるのが一番嫌かも全部わかっていて、だから平気な顔をしてくれる。私のために。
なので私も傲慢なふりをする。
平気な顔で、狭い浴室の半分を占める洗い場に腰掛ける牧人さんの足の間に座った。
しっとり濡れた彼の肌と、私の乾いた肌が奇妙に突っ張った。

 

「あと五分早かったら、いい感じに汗ばんでたよ」
「ん……ゲームしてたから?」
「うん。あれ結構汗かくんだよね」

 

専用のコントローラーを使ってプレイする、エクササイズを目的にした家庭用ゲーム。
私はやったりやらなかったりだけれど、牧人さんは律儀に毎日こなしている。

 

「さすがに三十路となるとね……こう、来るんじゃないかと。周りの人がさんざん言う、急な衰えってやつが」
「衰えるの、怖い?」
「長生きするなら健康ではいたいなぁ。なんかスイッチポチッて押して死ねるならぼろぼろでもいいんだけどさ」

 

あ、ダークネス。ここで出してきた。そんなことを思う。
牧人さんは破滅願望を持っている。
笑いながらときどき口にするそれが、まんざら冗談でもないというのをもう私は知っていた。
それを今発露したのはきっと彼の危うさだ。
私のために……ようは、今日という日を、つらい目に遭った一日というままにしたくないからって、
こんな風に性急に肌を合わせたがる私に添ってくれるのに、それを最後の最後まで維持できなかったらしい。

 

「……ごめんね、牧人さん」
「ん?」
「私、本当に人間的な強度がないなって……」
「あはは、強度ってなに。わかるけど」

 

内股にくっついた牧人さんの肉茎は柔らかいままだ。
私は黙って、それに手を寄せて指で揉んだ。

 

「う……は」

 

大げさな声。きっと本当に声ほどの快感を得てはいない。
でもそれだけの心意気があるという意思表示でもあった。

 

「大きくなる……?」

 

親指と人差し指で作った輪で、ぎゅっ、ときつめに握る。
それからぱっと離して、またぎゅう、と握る。
これは別にふざけているわけではなくて、ペニスに血を集める動きとしてはそこそこに有効だと知っているからそうする。

 

「たがね、唾」
「ん……?!」

 

顔の前に牧人さんの手が差し出される。手のひらを上にして、お皿みたいにして。

 

「唾ちょうだい」
「う……わ、わかった」

 

ここまできて羞恥心なんて抱いている自分を妙に思いながら、口の中の唾液をかき集める。
舌伝いに手のひらに垂らして、そこでようやく実感したりした。これからいやらしいことをするのだと。
そのまま牧人さんは、べっとりした手で自分の股間を握った。自然と私の手は離れたけれど、はねのけられたというよりも選手交代だ。
で、牧人さんは熱中し始める。彼にしてはわりと本気の羞恥心を孕んだ、気恥ずかしさを押し殺そうとするような半端な呼吸が伝わってくる。
こうなったとき黙るのは、逆に威圧になると私は知っている。

 

「自分でしごくほうがいい?」
「わりあい急を要するときはね」
「あはは、要してるの?」
「要しませんか」
「……ううん、してる」

 

動きを邪魔しないようにうっすら腰を上げているから、私の足の間の下で前後運動が行われている奇妙な状況だった。
それを見て興奮しないというのは嘘だ。
いじけた気持ちが消えたわけではないのに、下腹からわき起こった熱が、外に出たがってうずうずしだす。

 

「……おしっこ、いる?」

 

私がそう言うと、牧人さんの全身がびくりとした。ついでに手の動きも止まった。

 

「いる、とは。どのようにもたらされますか」
「エキサイト翻訳みたい」
「いや、からかわないで。ほしいから。いる。どんなふうにくれるの」

 

牧人さんの気配が変化する。若干ナーバスな雰囲気を淫らさでかき消そうとしていたのがそれこそ消えた。
私がこれからしようとしていることを心から期待している。見えないはずの表情や視線までありありとわかる。

 

「……このままする。牧人さんのおちんちんの上にする」
「本当に?」
「いやならやめる」
「や、嫌じゃない。全然。してほしい……あ、いや、でも」

 

手の動きが再開される。牧人さんはそういうところがある。いやもしかしたら男の人というのはそうなのかもしれない。
実際にいやらしいことを目の当たりにする前から、期待や予感というもので手が逸るらしい。

 

「でも、入れるときまで溜めといたほうが……感じやすくなるんだよな……」

 

牧人さんの言うことは本当だ。ちょっと膀胱におしっこが溜まっているくらいのほうが、膣穴に挿入されたときの感度が上がる。
いや、誰しもそうってわけではないと思う。
私たちの中の、いつおもらしをしてもいいという前提ルールがそうさせているのかもしれない。

 

「いやでもな、いや、あー……いいや、このままして」
「……わかった。ん……!」

 

下腹に力をこめる。恥骨の中で、実際はそんなこともないだろうけれど、小さく空気を溜めてそれを前のほう、尿道とか膣穴とかの方に向けてぐっと押し込めるイメージ。

 

「あ、ふぁ、あぁっ……!」

 

うまくいって、身体がぶるっと震えた。同時に牧人さんはもっと大きく震えた。脈打ったと言ってもいい。肌が粟立っている。

 

「うあ、きた、きた……う、あ、あはは! はあ、あ……!」
「ああぁっ、あっはぁっ……ふぁっ、あっ、ぜんぶ……」

 

すごい状況だった。ゆるく勃ちかけていた牧人さんの肉茎は、私の飛沫を浴びたとたんに上向きになった。そのせいもあってねらいが定まらなくなって、しぶきがあちこちに散っている。

 

「はぁ……最高……!」
「くふぅ、あっ、は、ふぁ……あぁ……!」

 

この世の終わりみたいな状況も、牧人さんの興奮を強くしているようだった。さっきまでさんざん手こずっていたペニスは、今ではもう下から私の秘唇を押してくる。今すぐ入りたいとでも言いたげだった。

 

「いい?」
「あっ、待って……もうちょっと……んんっ! んっ、ん~~~~~っっ……!!」

 

牧人さんは本当に押し入ってきた。半端に浮かせていた私の腰をつかんで、まだちゃんと準備もできていないはずだった膣穴に亀頭をめりこませてきた。

 

「あっはぁっ、はぁ、あっ、あぁああぁっ!」

 

私はうめく。同時に尿道から、さっき出きっていなかった液体の残りが勢いよく噴き溢れた。びしゃ、なんて音を立てて洗い場の床に打ち付けられる。
でもそれに恥ずかしさや名残を感じている余裕はなかった。それくらい牧人さんの突き上げが性急で、それこそ性急に行為を求めた私の期待が、浅ましくなってくるくらいに熾烈だった。

 

「なんだろ、けなげさ?」
「あっ、あっ、あ゛~~~~っ……! ひっぐ、あぁっ、ま、あっ、お、押されるぅっ……奥のとこ、あぁ、あ゛ぁ゛あぁあぁっ!」
「んっ……いやさ、自分のためだろうなって……思ったんだけど、いや悪いことじゃなくてさ、前を向いてって俺が言ったのを、ちゃんと……ん、しようとしてくれるんだなって……」

言いながら牧人さんの膣穴は私を突いた。突く。衝く。そのあとすぐに、先っぽで奥のあたりをこねまわすような動きになる。
牧人さん自身が己を焦らしている。さっきの慌てた仕草から、少しずつ自分を取り戻しているのがわかる。

 

「でも、そのためにさ、ふつうそこまでする……? はあ、あ」
「んぅっ……お、おしっこ……溜めてたこと……? んんんっ!」
「そう、そう。それは完全に、俺のためじゃん。自分のためなのに……うっ、は」
「あっはぁっ……はっ、あ、だって、あぁ、私のためでも……」

 

喜んでもらいたいのだ。ただのエゴでも。

 

「そういうさ、主観が……ああ、なんかやばいな、変に理屈っぽいこと言おうとしてるよ、なんだろうな俺……くうっ」
「う゛ぅ゛っ……うぅ、う~~~~っ……! い、や、あ、あっいや、わ、わかんなく……うくぅうぅっ!」

「いや、わかんなくていいや、わかんなくなって、もうどうしようもないこと言おうとしてるから……なんか、いや、主観でしようとすることが……結局、すごく客観的みたいな、ああそういうの、そういうのがたまに起こるから、だから生きてんだなみたいな」

 

本当にわけがわからなくなっていた。牧人さんが私を絶頂まで追いつめていくさなかで口にすることは、目指すものに近いようでいて、それでいて、なんだか言葉にすると逃げていくたぐいの、なにか呪文めいたものでもあった。

でもそれでいいのだと思う。つかみかけてまた見えなくなる。私たちはそれを毎日繰り返している。
さっき私は忘れると思った。甘やかで柔らかな日々の中で、己の醜い部分がどこかにいったような気になっているのは傲慢だと思った。それが苦しいとも。だったらそんなかりそめの安息は与えられないほうが幸福とまではいかなくとも正しいありかたなのだとさえ考えた。
でも、ちゃんと繰り返している。
毎日つながる肉体の中で。日常のちょっとしたやりとりの中で。お互いの距離を測る。命ぎりぎりの、もう死んでやるとか、こうしないと生きられないとか、そういう領域ではない。
そのほうが生も死も身近だから、ある意味自分に誠実に思えるけれど、でも、それだけじゃない。

 

作ったケーキがぱさついている。そこに自分の胸のすさみを見る。だから牧人さんにまでとがったことを言わないように気をつける。
牧人さんのおちんちんの勃ちがゆるい。そこに彼の気持ちのダウナーさを見る。そこからさらに塩加減を必死に探って、励ますのか、慰めるのか、見なかったことにするのか伺う。
そういうことだって立派に生死の活動だ。私はそれをもっと許すべきだ。もっとありがたく、もっと、そうできる自分を褒めてやるべきだ。

 

「あぁひぃっ、ひぐっ、いっぐ、いっ、あ、ああぁああぁああああぁあぁっっ!!」

 

背筋を破滅が駆け抜ける。快楽の波に打ちのめされて頭の中が白くなる。牧人さんもそれを感じ取って、激情に駆られるみたいに肉茎を往復させる。

 

「ああ……ようは、俺、たがねのことが好きだって……ああだめ、うあっ、は、ああ来る、うぁ、あ、あ……!」
「……っ、ふくぅ、うっ、は、あ、出てる……!」

 

膣穴の奥で熱がふきこぼれたのがわかる。どろっとした精液のテクスチャーを、さほど敏感でないはずの粘膜がはっきり感じ取る。官能がそうさせるのだと私はわかっていた。

 

「う……うぅぅっ……」

 

そしてもどかしくても、大きく息をした瞬間にほどけそうでも、絶対に膣穴を緩めちゃいけないってことも。
だって牧人さんのお楽しみはこれからだ。ゆっくり、ゆっくり、お互い若干緊張しながら体勢を崩さないように気を張る。

 

「あ……来そう、来そう」
「んっ……いいよ……出して……中で、おしっこして……」
「う……く、あ……!」

 

あっ、と息が空振りする。精液よりもずっと量が多いものが膣穴に押し寄せる。あっという間に粘膜中を満たして、それどころか内側が量に耐えきれなくなって逆流までしてしまう。
牧人さんが、いつものように私の膣穴で排泄をする。

 

「うぅー……ふ、はぁ……」
「熱い……よ、んっ……ふ……♡」

その温度に恍惚としながら、牧人さんがだんだん我に返るというか、少しずつ興奮が冷めて冷静になっていって、若干の罪悪感と共に私を慈しんでくれるひとときがやってくるのを待ちかまえている。

「なんか……このスイッチの切り替え時間が……ん、なんとも」
「スイッチ……?」
「いや……どっちも同じ管から出るわけじゃん」
「管……ね、うん」
「その切り替えというか……あーうまく言えない。とにかく、精液出しますよ、出しましたよーっていうのから、ちょっと時間おかないとおしっこ出てこないのがヤダ」
「ヤダって」
「ときどきすぐに出るときもあるし、ちょっと自分でもよくわかってないってのがね。なお恥ずかしいよね」
「んん……恥ずかしいの……?」

 

あはは。なんてうっすら笑ってしまった。

 

「……いい日でしたか、今日は」

 

問いかけ。さりげないふうに、私の本当の気持ちをたずねてくる。

 

「……うん、すごく。いろいろ感じた日」

 

だから本当のことを返す。
いろいろ感じた日。
ものごとのパースペクティブをすごく下げれば、あえて鈍感を気取ってみれば、ようするに、いい日だった。

bottom of page